
記者の方が、サッカーやプロ野球、柔道などの一線級の審判にインタビューした本を読みました。
ある競技の審判にフォーカスした本はあるものの、競技間の差を意識した本は初めての視点で面白かったです。
私自身はサッカーを良く観る程度の知識ですので、他競技の審判事情は知らないことばかりで新鮮な知識を得られました。
インタビューに答えて下さった方々は、「間違った判定をしない、試合をマネジメントする」という共通の目的を持っていました。
Contents
購入の理由
私は、定期的に大きな書店のサッカーコーナーに寄って、どんな本が積まれているのか?を観に行きます。
しかし、本書と出会ったのは、サッカーとは関係なく、何か面白い本はないかと立ち寄った新書コーナーでした。
サッカーに限らず、色々なスポーツの審判事情をまとめた本ですので、サッカーコーナーには置かれない本で、本書の第1章は、サッカーファンにはお馴染みの西村雄一さんです。
「西村さんが何を語るのか?」という興味に加えて、「他のスポーツの審判は何を考えているのか?」を知りたいと思い購入しました。
本書で扱われている競技は、以下の8つです。
- サッカー:西村雄一さん
- プロ野球:橘髙淳さん
- アマチュア野球:内海清さん
- 柔道:正木照夫さん
- ボクシング:ビニー・マーチンさん
- 高飛び込み:馬淵かの子さん
- ゴルフ:門川恭子さん
- 大相撲:第37代木村庄之助(畠山三郎さん)
私の知識は、サッカーの西村さん、プロ野球の橘髙さんは知っているレベルでした。
また新書で手軽に読めると思ったのも、購入理由の1つです。
対象読者
著者の鵜飼克郎さんは、週刊ポストの記者です。
記者の方が、サッカーやプロ野球、柔道などの一線級の審判にインタビューした本だと捉えています。
多くのスポーツを取り上げ、俯瞰的な視点で「競技毎の特徴・違い」を明確にする一方で、スポーツの審判という共通点を探り「大事な思いは変わらない」ことを示しています。
そのため、対象読者はスポーツファン全般です。
私は比較的多くのスポーツを観ますので、とても面白い本だと思いました。
ただ「あるスポーツ」のコアはファンからしても、その方が好きなスポーツの立ち位置を知ることができるので、楽しめると思います。
前提知識
多くのスポーツを薄く取り上げる構成上、それぞれのスポーツに関する詳しい知識は必要ないですが、地上波でテレビ中継がある「オリンピック」や「競技毎の国際大会」は観戦するくらいの知識は必要だと感じました。
地上波のテレビ中継で登場するくらいの専門用語は説明無しで話が進みますので、「全くスポーツに興味が無い」という方にはハードルが高いかもしれません。
類書
サッカーを例にすると、審判にフォーカスした本が発売されています。
大きく分けると、以下の2パターンかと思います。
①円滑に試合を進める審判術を解説する本
例えば
②著名な審判の半生を語り尽くす本
例えば
審判にフォーカスした本を売っているのは、サッカーだけでなく、大きな市場を持つ野球も同様だと思います。
しかし、本書のように多くの競技の事例を集めて、それぞれの特徴を論じる本は見たことがないので、とても貴重な本だと感じました。
各章の競技だけを見ると基本的な内容でも、競技が連なる構成ができるのは、新書ならではなのかもしれません。
ポイント1: サッカーの黎明期に審判はいなかった!
知らなかったのは、私だけなのかもしれませんが、サッカーという競技ができて間もない頃、審判(レフェリー)はいなかったようです。
本書で指摘していた箇所を引用します。
元来、サッカーは審判がいないスポーツでした。゛選手それぞれが自らルールを守ること゛を前提としていたのです。
審判はつらいよ
(前略)そもそもプレーの質が曖昧な部分が多いサッカーでは、各選手で判定基準が異なるケースもあります。そこで、プレーが法則に則っているかどうかの判断を誰かに委ねる。その『委ねる=レファー(refer)』が語源となり、両チームから試合進行をレファーされた者ということでレフェリーなのです。レフェリーの役割は、あくまで選手から試合進行を任されることであって、゛選手にルールを守らせる゛という性格ではないといえます。
審判はつらいよ
なぜサッカーの審判はレフェリーと呼ばれるのか?語源の紹介を含めて、初めて知ったことばかりで勉強になりました。
事実、日本サッカー協会(JFA)のサイトでも同様の記述がありました。
サッカーが、歴史の中で確立していく中で、様々なルールで行われていたものから統一したルール(競技規則)が生まれました。もともとは試合中に問題が起きたり意見の相違が発生した場合は、選手の間で問題を解決していましたが、サッカーの競技性が高まる中で、「相談役・仲裁役」として最終判断を委ねる(Refer)人が必要となり、その後、主審(Referee)、副審(Assistant referee)などの立場/役割が次第に確立され、競技規則において「主審の決定が最終」と制定されました。
「サッカーの黎明期に審判はいなかった」という事実を知っただけでも、本書を読んでよかったと感じました。
ポイント2: 8割の人がが納得する「コモンセンス」を作るレフェリー
サッカーにレフェリーが登場した経緯から、試合をマネジメントすることを期待されていることは間違いありません。
本書でも、ジャッジメントではなく、マネジメントと主張されています。
つまり、両チームの選手、ベンチはもちろん、特にプロであれば観衆を含めて、納得させながら試合を進めることが求められます。
『ポジティブ・レフェリング』という本では、必要な概念として、「コモンセンス」という言葉を使っていました。
コモンセンスは一般的に「常識」と訳されますが、サッカーでは「共通理解」と訳すといいと思います。サッカーの長い歴史を通して、数えきれないほど多くの選手、観客、審判たちが共有してきた、「サッカーとはこういうものだ」という考え方のことです。
(中略)
コモンセンスに基づいて判定を下されるからこそ、選手たちは思い切ってのびのびとプレーすることができるのです。
ある局面でフィジカルコンタクトがあってボールホルダーが倒れた、その時、「ファウルの笛を吹くべきか?」。
イングランドにはイングランドの、フランスにはフランスの、日本には日本のコモンセンスによって、答えは異なるということです。
さらに言えば、カテゴリーによっても異なるでしょう。
それぞれのコモンセンスから外れた判定が下されると、選手やベンチ、スタンドから不満の声が出ます。
同じ状況であっても、ファウルになることもあれば、ファウルにならないこともあるという「曖昧さ」は、全世界で認められていると言えるでしょう。
この「曖昧さ」について、本書で西村さんの主張が面白いと感じました。
当然、レフェリングの゛曖昧さ゛が選手やサポーターの不満を招くこともあります。ただし先にお話ししたとおりサッカーは『法則』ですから、これを読み解いて8割の人が納得できる決定を導く。主審に委ねられた主観には、これらを実現するためのマネジメントが求められていると思います。
審判はつらいよ
8割というデジタルな数字が出ていることが興味深いです。
8割という多くの人が納得できれば良いに近い考えは、VARにも現れているようです。
こちらは、JリーグがVARの講習の様子を公開した動画です。
インストラクターからは「(レフェリーの判定に)乗れるか?乗れないか?を見るだけでいい。6:4でもいい。」と教えています。
本書では、他競技の審判事情を紹介していますが、ビデオ判定やテクノロジーを導入しても、一番曖昧さが残るのはサッカーだろうと感じました。
ポイント3: レフェリーとアシスタントレフェリーが固定しているのは珍しい?
本書を読み進めると、レフェリーとアシスタントレフェリーが固定しているサッカーは珍しいのではないか?と思うようになりました。
- プロ野球では、球審と各塁審はローテーションするようです。
- 柔道では、主審と副審(2人)はローテーションするようです。
- ボクシングでは、レフェリーとジャッジはランダムに決まるとのことなので、レフェリーをやる時もあれば、ジャッジをやる時もあるようです。(個人的には、レフェリーとジャッジが同じ括りに入ることすら、初めて知りました)
逆に役割が固定しているのが相撲界で、行司と審判員では大きく異なるそうです。
審判員は親方衆とのことで、明確なヒエラルキーがあります。
行事は土俵上での勝負判定を任されているが、微妙な勝負で物言いがついた場合、発言権はあるか決定権はない。土俵を囲むように配した5人の審判員に判定が委ねられる。
審判はつらいよ
おそらく、それぞれの競技では当たり前のこととして受け止められているので、整理が難しいとは思いますが、審判団の中でも専門の役割が決まっているサッカー・相撲型のメリット・デメリット、審判団の中でポジションをローテーションする野球・柔道・ボクシング型のメリット・デメリットが知りたくなりました。
ポイント4: 採点競技の方向性は近い
本書で紹介されていた競技の内、採点競技は高飛び込みだけでした。
その章では、「えこひいき」として、以下のことが紹介されていました。
もちろん他国選手の演技に対して故意に点数を下げることはありませんが、日本人選手にはどうしても採点が甘くなる。決勝で自国選手の審判ができないというルールは、言い換えると゛えこひいき゛が常態化しているともいえますね。
審判はつらいよ
採点競技での「えこひいき」については、フィギュアスケートを題材にした本『氷上の光と影』で、「えこひいき」の理由も含めて言及されています。
どこの国のジャッジも自国の選手には高めの点数を出す「ナショナルバイアス」の傾向はあるが、これも一概に不正な採点とはいえない。まったく見たことのない選手よりも、長い間成長を見守ってきた選手の演技をつい高く評価したくなるのは、人間である限りある程度やむを得ないことだ。そのために1人ではなく複数のジャッジがいる。
氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート
「ナショナルバイアス」も人間が採点することによる「曖昧さ」の範囲内というトーンに感じられます。
おそらくは体操競技やスケートボードといった採点競技には共通した事象なのかもしれません。
フィギュアスケートではソルトレイクシティオリンピックでのスキャンダルに端を発して、「技の難易度」と「技の出来栄え」を評価する新採点方式の導入につながりました。
要するにカナダは「滑りやすいこと」を最優先にして、楽なプログラムを選んでノーミスで滑った。一方ロシアは「難易度が高いこと」を最優先にしたプログラムで、男性がわずかなミスをしたのだった。
氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート
相対評価で評価しなければいけない(つまり旧採点方式)場合、「どちらを上に評価するのか?」はジャッジの価値観に依ってしまうという問題でした。
これもまた「人による曖昧さ」と言えます。
他の採点競技についても、「技の難易度」と「技の出来栄え」で評価する方式になっています。
これで万事解決とはならず、今度は「技の難易度」を重視するのか?「技の出来栄え」を重視するのか?は、常に調整が行われている印象です。
本書によると、高飛び込みは「技の難易度」を重視する傾向が強くなっているそうです。
「技の難易度」を重視する傾向は、体操競技やフィギュアスケートでも同じ傾向でしょう。
つまり、全く違うことをしている採点競技でも、競技として目指す方向性は似通っているのだと感じました。
採点競技の章を読んでいると、万が一、サッカーも90分で引き分けだった場合に、「柔道の旗判定」や「ボクシングのジャッジ」が導入されたら、どうなるのだろうか?とも考えてしまいました。
決定機の数を持ち出すのか?攻撃的とされるポゼッションサッカーが優先されるのか? 採点要素がゼロで良かったと思いました。
yas-miki(@yasmikifootball)



























